今本当に自分がやりたい仕事だけをさせてもらっているさきです。
私はプロフィールにもある通り、新卒で公立中学校の教諭になりました。
教育大学大学院で専修免許を取得し、教採に向けて一生懸命勉強しました。
でも、このままで一生を終えたくないと思い、3年で退職しました。
自分らしくいられない環境にうんざりしてしまったからです。
今日は自分らしさとは、環境を選ぶとはどういうことか、私なりの解釈をお話ししたいと思います。
私が初めに環境を選んだのは高校生活
私は幼稚園だけ私立で、小学校から大学院まで国公立の学校に通っていました。小学生からの19年間の学生生活の中で、一番楽しかった時期は何の迷いもなく高校生活です。毎日本当に充実していて、クラブ活動も、クラスも、先生も友達も大好きでした。
私が高校生活に思い入れがあるのは、中学時代の経験も影響しています。私が通っていた中学校は市内で1,2を争うくらい荒れていて、校内へ車を乗り入れたり、自転車で廊下を走り回ったり、授業中教室の後ろでキャッチボールをするような生徒が大勢いました。
タバコやいじめ、殴り合いの喧嘩も珍しくなく、自分がターゲットにならないように…とリーダー格の女子の顔色を伺いながら生きていました。そんな自分の力を発揮できない環境は窮屈でした。
『目立つといけないから』という懸念がいつも自分の軸にあったので、できることをできないように装うことも度々ありました。常に周りの目を気にするようになってしまったのはこの中学校生活での習慣からです。
その環境を変えたくて、受験勉強を死ぬほど頑張りました。今でも中学3年生の冬が人生で一番勉強を頑張ったと言えます。というのも、私の出身の奈良県は受験戦争が比較的激しく、私が受けた公立高校は倍率が4倍を超えていました。文武両道を掲げ、落ち着いた校風の高校へ行き、環境を変えたいと思いました。
志望校の公立高校に無事入学してからは、全校集会で「静かに!」と先生が言うと生徒が静かになる現象にカルチャーショックを受け、真面目に勉強しクラブ活動も頑張る友達がたくさんできました。自分と同じ感覚の仲間に出会えたことが何より嬉しかったです。
自分らしくいられた高校生活とその延長
価値観が同じ仲間に出会えた高校生活。目立っても大丈夫、できることは胸を張ってできると言える、初めはそんな環境が新鮮でしたが、いつしかその環境に慣れ、当たり前になっていました。友達にも恵まれ、時に感化され、最高の仲間に出会えた場所でした。
高校までは1時間半くらいかかっていましたし、相変わらずピアノや歌などの習い事も続けていたので、忙しくしていました。それでも自分が決めたこと、自分がやりたいことをやっていただけなので、窮屈ではありませんでした。
楽しかった高校を卒業し、大学へ入学しました。大学は元々個人が取りたい授業を取るという性質もあり、さらに私は音楽科に属していたので、個人レッスンや個別の課題などもありました。それまで以上に自主性を求められるようになり、自由度も高まります。
ここでも私は集団塾講師のアルバイト、家庭教師、体育会バドミントン部など、興味のあること全てに精を出しました。音楽科でありながら体育会のクラブ活動をやりたいと思う人も少ないのですが、研究室の教授にバレるとあまりいい顔をされないので隠れて引退まで続け通しました。
大学生活は個人プレーですので、自分で決めたスケジュールで動くことは珍しくありませんよね。就職が近づくにつれて、大学生も徐々に社会の歯車へと化します。一般的にどんな仕事が良いとされていて、過去の先輩はどんな職に就き、教授は何を推奨するのか。判断基準を周囲に委ねることになります。
自分らしさより社会人らしさが求められるようになる
就職活動の面接では、自分の強みを生かして、などと長所を掲げたりするのですが、就職する頃には、自分らしくというよりは社会人らしい新入社員になっています。会社の求める人物像や企業に採用されやすい姿勢に近づけるよう努力し、選考を受けていくからかもしれません。
私も大阪府教育委員会が掲げる理想の教師像に基づいてエントリーシートを作成し、面接での発言もそれらに基づいて構成を考えました。教員採用試験に合格するという目標あってのことですから、その発想自体になんの疑問もありませんでした。
教員として就任してからも、初任者研修で一年目がみんな同じ研修を受け、同じ考え方を培っていきました。一般企業でも、形は違えど一年目は研修を受けてより社員らしくなっていきます。振る舞いも思考も、職場のカラーに染まっていくのです。
仕事をこなす上で職場でのルールや意識の統一は必須だとは思いますので、欠かせない過程だとは思います。さらに一年目は自分のことを客観的に省みる余裕もないことが多く、与えられる環境でインプットするのに精一杯で、それらに対して疑問を持つこともあまりないでしょう。
しかし、その中で個性が埋没し、自分らしさを失っているのです。就職する前は自分の適性や性格を分析して、どんな仕事が自分に合うか、自分らしさを生かせるかを考えて仕事を探すのに、実際就職してみると自分を活かせない、自分らしく働けない環境に気付いたりします。
「仕事が面白くない」
「思ってたのと違う」
というのは、リサーチミスというよりは、就職前の自分でない自分が出来上がってしまっているということの方が多い気がします。例えば、大学のサークルや体育会のクラブで培ったリーダーシップが自分の長所だと思っていたのに、その能力が新卒で入った職場では無意味だということはよくあることでしょう。
リーダーシップなどは長いスパンで見れば、部下ができたときに発揮される能力かもしれませんが、社会人一年目らしい振舞いには不必要であることが多いです。自分らしさを活かせなくなった途端、頑張ってきた経験がある人ほど、その環境をつまらないと感じます。
自分らしくいられなくなるとこうなる
自分の良さを発揮できないと、「自分じゃなくてもこの仕事ってできるんじゃない?」と思い始めます。社会の歯車としてただ働いているだけの自分に疑問を持ち、面白くない仕事をこの先も続けることへの不安や不満が生まれます。早い人だと就職1年目に、遅くても3年目くらいまでに感じる人が多いと思います。
その時に与えられる選択肢は3つ。一つ目は、仕事は仕事と割り切ってやるべきことだけやるパターン。生活のために続けるしかないのでとりあえずやるべきことだけやって帰ることができるタイプの人はこの選択をする人も多いでしょう。
やりがいとか自分らしさとか、周りに認められるとか、そういうことを期待せずに仕事だけこなすというスタンスです。もちろんその中で能力が買われて出世することもあるとは思いますが、私が見てきた限り、ほどほどそこそこで終わっている人が多いように思います。
二つ目は、自分らしくいられる仕事を新たに探すという選択肢です。世の中には色んな職場と働き方がありますので、新卒で入った会社にずっといなければならないという訳ではありません。自分らしさを失って、疑問やストレスを感じ続けるよりは、もっと自分を生かせる仕事を探す方が何倍も生産的でしょう。
私はこの二つ目の選択をしたのですが、環境を変えて本当に良かったと思っています。仕事を変えたことで自分らしさを取り戻すことができ、ストレスも減り、更に収入も上がったので、何の問題もありませんでした。思った以上に道は拓けるものです。
三つ目は、悩み続けるという選択肢。「もしかすると自分が未熟なだけかもしれない」「もう一年働くと見える世界が変わってくるはず」などと、自分自身を叱咤激励しながら頑張らせる方法です。これが一番ストレスも多く、辛いでしょう。
働き出してすぐは新しい仕事に戸惑い、自分自身の能力の問題で職場でストレスを感じることも少なくないと思います。時には、自分の成長でカバーできる内容もあるかもしれません。でも、働き出してからの期間など関係なく、自分を活かせないことにストレスを感じたら、一つの転機なのです。
それでも判断し切れなかった場合は、『石の上にも三年』という言葉があるように、3年を転機として仕事を見直すべきです。この三つ目の悩み続けるという選択肢は、人生の保留期間でもあるので、今後どうしていくかを早急に考えた方がいいでしょう。
さいごに
これまでの人生を振り返ると、楽しかった時期は誰にでもあると思います。その時は、自分らしく振舞うことができ、そんな自分を認めてくれる仲間に恵まれていたことでしょう。社会人になって、その頃の自分らしさを失い、無理をしている人が本当に多いです。
周りには「もう少し頑張ってみたら?」と言われたり、「せっかく入社した会社なのに…」と転職を止められたりするかもしれません。でも、自分のことは自分が一番よく分かっています。自分の良さを生かしきれていないと思う時は、実際気持ちの面で負担になっているのです。
社会に順応することも大切です。社会人になる過程で学ばなければならないことがあることも事実です。でも、それらを尊重するあまり、自分らしさや個性が失われていくことの方が残念だと思いませんか?
自分らしく生きることができる環境は必ず見つかります。社会人になっても、大切なものを見失わず、環境を変える勇気を持つことが、今の日本の社会には必要だと思います。