教育業界に携わって12年目のさきです。
学校教育では、様々な『生きる力』を身に付けるための取り組みがなされています。
職場体験やキッザニアなどの活用もその一環です。
教科の授業以外に総合的な学習の時間が導入されてからは、いわゆるお勉強以外の生きる力を身に付けるための時間が指導科目に追加されました。
もう20年ほど前のことになりますが、私が通っていた公立小学校には、ゲーム感覚で金融教育を展開してくれる先生がいました。
今日はその恩師の素晴らしい取り組みについて振り返りたいと思います。
副担任という立場でありながら全力で子どもと関わる
私の尊敬するその恩師は、体が不自由なクラスメイト専属の先生で、私のクラスの副担任でもありました。体が不自由といっても、少しゆっくりではありますが一人で歩くこともでき、みんなとコミュニケーションもとれるし、冗談も言う明るい男の子でした。
その先生は、そのクラスメイトが助けを必要とする時だけフォローし、なるべく自分の力で活動できるようサポートしていました。障害を個性として扱うその先生の姿勢のおかげで、クラスのみんなも彼を特別扱いしすぎず、見守り仲良く過ごしていました。
子どもは予想以上に大人の行動や発言をよく見ています。どのように接しているか、どんな風に声をかけているか、細かいところまで観察しています。副担任の先生だったので、担任の先生ほど関わる機会は多くありませんでしたが、今でもその先生の人柄はしっかり覚えています。
そんな副担任の先生は、私たち一人一人にも気遣いが溢れていて、楽しい話もたくさんしてくれました。海外へ行った時の話をビデオや写真を前に映し出しながら話してくれたり、ロードレーサーである息子の話をしてくれたりもしました。
教師である以上、視野は広く持っていたいと私が思ったのも、その先生の影響が大きいです。先生の話は新鮮で、日本以外の文化や気候についても色々教えてくれました。教師といっても一人の人間です。結局のところ、人間としての魅力が子ども達にも影響を与えるのです。
授業の枠を超えた金融概念の教育
そんな人気の先生が、1年間通してある取り組みを行ってくれました。それは、貨幣概念の教育でした。私が4年生の時、クラスで係を決める時に『銀行係』という新しい係が設けられました。初めてのイベントにみんな興味津々。
概要は以下。まずそのクラスだけで使用できる紙幣を作り、先生しか持っていないハンコを押して複製できないようにします。先ほどの銀行係は鍵付きの金庫でそれらのお金を保管・管理します。私たちは、イベントがある度にそのお金を手に入れられます。
例えば、毎日行われる漢字テストで満点を取れば1ゴールド、班対抗でゲームをして買った班員それぞれに10ゴールドが与えられる、などです。そして、時々お楽しみ会と称して行われるフリーマーケットでは、そのゴールドで買い物ができました。
ノートやペンなどそれぞれ自分のお店を出して、金額をつけ、商品を並べます。商品を売って、またそのお金も合わせて自分が欲しいものを買いに行きました。売れ残るのは嫌なので、「買ってー」と営業したり、自然と値段交渉したりしていました。
このイベントのおかげで、まず漢字テストが楽しみになりました。1問ミスだった時とかすごく悔しかったので、ケアレスミスをなくそうと意識するようにもなりました。学生の本分である勉強を頑張ることでお金が手に入るという仕組みはとても面白いものでした。
小学生なので、複製できないか試みる男子がいました。でも、同じ紙質のものを使って作ることも、先生特製のハンコを押さなければならないことも、不可能だと悟っていました。紙幣とはそういうものだとその時彼は学んだでしょう。
フリーマーケットで、円滑な営業のために工夫していたことも、今振り返ると大きな成果だったと思います。分かりやすい値札をつけたり、自分が置いているものが欲しそうな子に声をかけてみたり、自ら試行錯誤して物を売る難しさと楽しみを体験できました。
お金を手に入れるための努力、物を売るための工夫、そしてそうやって苦労して得たお金で自分の欲しいものを手に入れる。授業でそういった社会のお金の動きを説明されるよりも、ずっと分かりやすく、学びが多かったです。
指導要領通りに進めるだけが教育ではない
学校教育とは非常に複雑です。学校現場の状況に合わせて臨機応変に対応することは非常に大切なことなのですが、文部科学省からは共通の指導内容を指定されています。そして学期末には個々の生徒の成績評価も待っています。
どの内容を端折って、どの内容を優先させるべきか、初めは判断に苦しみます。経験を積むことでその裁量は上達していきますが、それでも指導要領の改訂が行われたり、限られた時間で網羅しなければならない項目が多くて悩むことはありますよね。
中学校以上の教育では、他教科とのバランスもある程度加味しなければならなかったり、ますます型にはめないとやりづらいところもあります。それでも、私は好奇心を掻き立てるような取り組みを教師である限り忘れてはいけないと思います。
生徒は教師を選ぶことができません。子ども達にとって、その時間、その教育の担当者は目の前の教師しかいないのです。当たり前のような枠を取っ払って、子ども達が楽しみながら学べる先生の個性を生かした取り組みがあってもいいと思うんです。
もちろん、それも学校やクラスの状況にもよるので、常に実行できるかは分かりませんが、教師側からアプローチしないと、子ども達は変化しません。生徒の変化を見届けられるのは教師の醍醐味です。
私が出会った先生みたいに、いつも私たちをワクワクさせてくれるような先生が増えれば、学校教育はもっと有意義なものになっていくと思います。教師志望の方、教育現場にいる方には、そんな思いを持って現場で活躍して欲しいと思います。