公務員の家庭で教育を受け、公務員になった私が目にした現実について今日はお話します。
大学4回生の時、教育大学卒業後のことを教授や家族に相談すると、"公務員はいいよ"という答えがよく返ってきました。
確かに以前はリストラもなく、年功序列で給料も上がっていく、いわゆる"安定職"と考えられる時代もありました。
でも、時代は変わるんです。
本当の安定とはどういうことか考えたことがありますか?
考え方は育った環境に依存する
人間は環境動物だといいますが、まさにその通り。私は公務員の父の安定したルーティーンを繰り返す日々を見て育ちました。
毎日同じ時間に起き、家を出て、同じ時間に帰宅する。高校教師であった父の忙しい時期は文化祭などの行事前、定期テストの前後、3年生の担任になれば受験前…など、毎年もしくは3年ごとに同じことの繰り返しでした。
しかし、私が子どもの頃は休暇も問題なく確保できていたようで、毎年家族で旅行にも行っていました。小学生の時に家族みんなで1ヶ月間ヨーロッパで過ごしたこともあります。
そう、父は家族との時間が少ない訳でもなく、ある程度習い事や好きなことをさせてもらっていた私たち子どもも、不満のない日々を送っていたのです。
当然教師のイメージも公務員のイメージも悪いはずはなく、リストラの心配もなかった家庭で育ったこともあり、教師という選択肢は卒業前の私にとって濃厚でした。
大学4回生で教員採用試験に受かっていた私は、同時に大学院の入試も受けていました。院の卒業まで採用を待ってもらえたので、結局またこれも父と同じ、大学院を出てから教員になるという道を辿りました。
新卒採用の意気込み
24歳の春、期待と希望を胸に新卒採用として大阪府の中学校に配属が決まりました。やっと社会人になれたということもあり、かなりはりきっていました。今思い返すと本当に恥ずかしい限りですが、教育委員長の話を頷きながら聞いていました。
採用試験に向けてかなり勉強しました。面接対策も毎日積み重ねてきたので、完全にコツを掴んでいました。教育委員会関係の知り合いによると、かなり上位で合格していたようでした。厳しい倍率を切り抜けたこともあり、期待されていました。教育委員会の幹部を排出している教育大学の大学院卒業ということもあったかもしれません。
仕事には真面目に取り組みました。遅くまで残って授業準備をしたり、早朝からクラブ指導のため出勤したりしました。教えることが好きな自分に向いている仕事だと思ったし、生徒との関わりはとても楽しかったです。
働いて初めて知った現実
2年目の秋、体調を崩して1週間仕事を休みました。高熱が下がらず、急に休んだので、毎日自習時間に何をさせたらいいか学校から電話がかかってきました。休んでいても気が休まらず、体力の限界を感じました。
その頃から私は様々な違和感に気付いていました。いえ、気付いてしまった、という感覚でした。
土日もクラブ指導で休みがないということ。定時は8:30-17:15なのに7:00-23:00まで仕事をしているということ。夏期休暇は5日しかなく、基本的には授業がなくても出勤しないといけないということ。ボーナスの額を決める判断材料に生徒からのアンケートが関与していること。クラブや学年、校務分掌(学校内の仕事分担)は希望が通らず勝手に決められるということ。自分より年配の先生が定時に帰っていても自分より給料が高いこと。残業手当は一切つかないこと。
現実と理想
様々なことに気付きました。
当時結婚もしていなかったのでなんとか毎日こなしていましたが、家庭を持って子育てしながらは絶対にできない仕事だと思いました。
もちろん、仕事を簡略化するなど、経験に助けられることもあることは分かっていましたが、一生続けたくない。これが私の出した結論でした。
それでも逃げたら負け、みたいなことを思い続けてすぐには辞めませんでした。それが初めは美徳だとすら思っていました。
しかし、職場で鬱になった人やなっていく人、淡々と最低限の仕事だけこなしてすぐ帰る人、子どもが欲しかったけど仕事が忙しくて諦めた人、適当に手を抜いて仕事をする人…色んな人生を見ている中で、こうはなりたくない、とすら思うようになってしまいました。
こうなりたいという理想が見つからなかったとも言えるかもしれません。
公務員の今昔
両親に辞めたいと相談しました。もちろん大反対。時代の差をなかなか分かってもらえずぶつかりました。昔は取れた休暇が取りにくくなったり、生徒アンケートが導入されたり、私が知る限りでも公務員である教員は以前の公務員らしくなくなってきているのが分かりました。
近年、評価というものや公務員と会社員の休暇の差などに世間の目が向けられてきていると聞きました。時代に合わせて色んなことが変化するのは当たり前かもしれませんが、外から見るのと中で実際に経験することがこんなに大きく違うとは思いませんでした。
この頃、大阪府の公務員が削減され始め、実際に公務員もリストラが始まりました。また、公務員の給与削減も世間を騒がせました。
安定の捉え方
結局私は3年で教員を辞めました。周りは例外なくもったいないと言いました。自分自身を否定されていると考える人もいるかもしれませんが、私はそうは思いませんでした。だって、同じ立場で同じものを見てきた人の意見ではないから。
自分のやりたいことをする時間もなく、ただ人生を浪費して今の場所にとどまり続けるより、辛いことがあっても好きなことを選びながら、成長し続けられる生き方をしていきたい。
そう考えた私の決断そのものでした。
教員時代に出会った同僚の先生には様々な人がいました。とりあえず採用試験に受かって教員を続けていけたらいいや、他にやりたいこともないし…、家のローンも組んでしまったし今更辞められないし…、そんな"ほどほどそこそこ"の人にも沢山出会いました。
中には真摯に子どもと向き合い、人生をかけて精一杯仕事をしている人もいましたし、決して教師を否定したいわけではありません。私自身、仕事自体はとても楽しく、やりがいを感じていました。どんな風に自分の人生を捉えるかは個人の自由なので、"ほどほどそこそこ"の人を否定したい訳でもありません。
ただ、
それで本当に人生楽しいですか?
そう問いかけたい。
とりあえず今の生活が続けば…そんな考えが本当の安定でしょうか?
手を抜いて仕事をしてお金をもらう。
仕事に人生を掲げているように見えて、実は仕事以外に自分には何もない。
そんな人生でいいんですか?
公務員だって絶対的な収入の安定が約束されていない今、何をもって安定職だと言えるのでしょうか?
自分自身がやりたいことや大切なものを守る。
それができてこそ本当の安定ではないでしょうか?
どんな時代になっても、自分自身を大切にできない生き方は本当に不安だと思います。
この記事が、周りの声や一般論にとらわれず、あなたの本当の意味での安定を考えるきっかけになれば嬉しいです。