元公立中学校教諭のさきです。
私が教員になったばかりの頃、目まぐるしく過ぎる日々の中で、本当についていないことがたくさん起こりました。
いえ、当時ついていないと思っていただけで、実際は原因は全て自分にあったのです。
考え方一つで生きやすくも生きにくくもなる、そんな体験をお話しします。
当時辛かったこと
社会人一年目、右も左も分からない私は、先輩のいない職場に配属されました。普通初任者は、何でも教えてもらえる先輩がいて、ある程度育ててもらえるものだと思っていました。しかし私が配属された中学校は音楽科の教諭が私だけで、教科的なことを指導してくれる人はいませんでした。
更に、経験したことのない吹奏楽部の顧問であることが就任前より勝手に決まっていました。ひとえに音楽といっても楽器やジャンルはたくさんあります。私にとってピアノと声楽とドラムはある程度長く携わってきた分野ですが、吹奏楽となると全くといっていいほど別物でした。
一般企業において扱う分野が変わる時は、仕事の中で任される内容が変わる場合だと思いますが、教師の場合、クラブ活動は定時外の活動であるため、仕事内容というよりボランティア内容が変わるようなものです。
定時内の仕事に慣れるのにも精一杯な上、不慣れな分野の部活動顧問を一人で努めなければいけませんでした。にも関わらず就任2ヶ月目にして教育実習生の指導を任せられ、自分のことでも精一杯なのに、2人分の授業案を計画するハメに。
そんな時、一緒に仕事を分割していた年配の男性が鬱になり、毎日私に「もうだめです」と言ってきました。1学期が終わる頃、彼は姿を消しました。人員の補充がなく、分割していた仕事は全て私のところへ舞い込んできました。
就任直後からこのスタートで、毎日遅くまで一人で仕事をしていました。朝練に間に合うよう鍵を開け、生徒が帰った後ようやく自分の仕事に手をつけ、日付が変わってから一人で鍵を閉めて帰っていました。
残業という概念がない職場
同時に社会人になった妹も一年目は色々と苦労しているようでしたが、残業手当はきっちりついていたし、営業配属だったため、会食という名の飲み会があったり、服装もある程度自由みたいで、会う度オシャレになっていき、何やら楽しそうでした。
私だって仕事が楽しくなかった訳ではなかったのですが、拘束時間の長さとボランティアのような仕事量にうんざりしていました。世の中には仕事した時間がきっちり給与に反映される職場もあれば、定時は定められているのに残業がつかない職場もあることを知りました。
教師らしい服装を求められ、スカートにストッキングを履いただけで注意される始末。動きやすく派手でない服装を求められ、オシャレなんてしていられません。冷房のない教室で汗を拭いながら授業をするにつれてOLの美意識とますますかけ離れていくのを感じました。
職場環境に様々なストレスがありましたが、一番大きな違和感は残業についてでした。教師になる前にアルバイトをしている時は、勤務時間と決められた単価で計算された給与を受け取っていましたが、教師になった途端時給という概念がまずなくなりました。
8:15〜17:30勤務の教師と、6:30〜25:00勤務の教師の間に、勤務時間による給与の差はないわけです。初任者は仕事が遅いから時間がかかって当然、要領が悪いから仕方ない、という暗黙の了解の元、私以外の初任者も多少は残って仕事をしていました。
初めは違和感があった私も、感覚が麻痺して、2年目に入る頃にはそういうものだと思い込んでいました。当時の私の時給は、勤務時間から換算すると500円を余裕で切っていました。そもそも残業とか時給とかいう概念がありませんでした。
全て自分の選択によって成り立っていた
「本当についてない」「他の職場だったらこんなことはなかったのに」
そんなことばかり考えていました。運が悪いとか、環境が良くないとか、全部周りのせいにしていました。確かに同じ1年目の教諭でも、職場によってはもっと楽に働けていたり、仕事量が少ない場合もありました。比較的忙しい環境にいたとは思います。
しかし、ある日気付きました。元はといえば、自ら教師という選択をしたから今の自分がある訳で、各校に配置人数が少ない音楽という教科を専攻したから人手が少ない状況になったということ。吹奏楽部を担当する可能性も、音楽科の教諭なら予測できたということ。
その仕事についた時にどんな未来が待っているかなんて、もう少しちゃんと考えれば分かったはずなのに、深く考えずに選択した自分に全て原因があると気付いたのです。吹奏楽部に顧問になったことも、一人で学校全体の音楽の授業を担当することになったことも、全て私が公立中学校の音楽科教諭を選択したからです。
公務員に残業がつかないことも、教師はオシャレできないことも、朝練や成績処理などで一日中、土日も部活動で拘束されることも、全て自分の選択から始まったことなのです。そのことに気付いた時、周りのせいにしてきた自分が未熟だったことに気付きました。
物事には全て理由がある
何事にもそうなる理由があるんです。それがたとえ自分の力の及ばないところだと思ったとしても。私の場合は、辛いと思っていたことは全て過去の自分の選択の積み重ねで出来上がった現実だったのです。周囲の環境も違った振る舞い方をしていたら変えられたかもしれません。
教育の仕事に携わっていたり、音楽教室を運営していると、来るはずだった生徒に急に当日欠席されることがあります。何故欠席したのかを突き詰めていくと、体調不良だったり、急な残業で来れなくなったり、理由は様々です。それらは本人の責任によるところも大きいですが、こちらで防ぐことができたかもしれないことって実はたくさんあります。
例えば、寝坊しやすかったり午前中は体調が優れないことが多い生徒の授業は午後に設定することで欠席する可能性が減ります。残業が発生すると遅れそうな時間帯に社会人の方のレッスンは入れないようにするとキャンセルになることが減ります。
前日にメール1本入れることで、忘れられることがなくなり、また意識付けすることもできます。便利な時代ですから、約束の時間の1時間前に「気を付けてきてください」とメールするだけでも、遅れず行こうと思ってもらえたりします。
全員が全員こういった工夫が必要な生徒ばかりではないですが、相手のせいにするより、自分がどう動けば起きて欲しくないことを防げるか考える方がずっと楽です。もし期待通りに物事が運ばなくても、次は自分はどうすればいいかを考えればいいだけです。
逆に上手くいった時は、過去の自分の何が良かったのかを分析すれば次に生かすこともできます。人のせいにしてただ嘆くより、物事の原因を考えて対処する方がずっと効率的で生産的だということに気付いてから、とても生きやすくなりました。
他人は変えられませんが自分は変えることができます。逆に言うと、自分しか変えられないのです。変えられないものに対しストレスを抱くより、変えられるものをよりよくしていく方がずっと楽です。
そのことを理解してからは、他人に腹を立てることも少なくなったし、自分自身が成長することで解決することが増えました。問題解決能力ってこういうことだと思います。